(3)いにしえの深いご神氣を感じる麻賀多(まかた)神社

 

11/13(火)、わくわく お~わくさんにご案内頂き、次は以前から気になっていた神社さんへ。

*以前の記事は…(1),(2)

 

《麻賀多(まかた)神社さん》

「日月神示」が初めて降ろされた神社として知られており、麻の産地で、かつては皇室に麻を献上していた地でもあるそうです。

 

 

麻賀多神社さんの記事はきちんと書きたくて、ネット検索してウィキぺディア等で調べていたら……

いろいろ深いことがわかって驚きました!!

 

今回、お~わくさんのおかげで、参拝者の少ない奥の宮からお詣りをさせて頂きました。

 

 

奥の宮のある地に降り立ったときから、
「わ、ここ凄いですね!! すごい、凄い!」
と声に出てしまうほど、ご神氣あふれる気配を感じました。

 

 

私たちの他には、参拝している人は誰もいませんでした。

 

 

一番初めに「印旛国造・伊都許利命(いつこりのみこと)」の墳墓におまいりしました。

小山のようになっている古墳です。

 

 

当日 立て看板を読んだときも「おっ!」と驚いたのですが、記事を書くためにウィキペディアなどで詳しく調べてみると、

 

 

今回やはりこの時期に、麻賀多神社さんに訪れることになっていたのだ…と思わされました。

 

 

麻賀多神社さんは、

神武天皇媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたら いすずひめ)との間に生まれた皇子、
神八井耳命(かんやいみみのみこと)の8世の子孫である
印旛国造・伊都許利命(いつこりのみこと)が作った神社さんでした!

 

 

奥の宮のご祭神は
稚日霊命(わかひるめのみこと)」。

 

稚日霊命」は、天照大神自身のこととも、幼名であるとも言われ、また妹神でもあると言われる神様で、
「丹生都比賣大神(にうつひめ)」の別名と言われることもあるそうです。

 

◎ウィキペディアによると…

神武天皇の皇子・神八井耳命(かんやいみみのみこと)の8世の子孫である
印旛国造・伊都許利命(いつこりのみこと)が、3世紀の頃、稚日霊命(わかひるめのみこと)を祀ったのが、今の奥の宮(成田市船形)だそうです。

 

また、伊都許利命が、杉の木の下から7つの玉を掘り出して、
それをご神体として「稚産霊神(和久産巣日神・わくむすびのかみ)」を併せて祀り、
この2神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれました。

 

 

推古天皇16年(608年)、さらに伊都許利命の8世の子孫が「稚産霊神(和久産巣日神・わくむすびのかみ)」を遷座し(←こちらが成田市台方にある今の本宮)、
それまでの社殿を奥宮とした、のだそうです。

 

「真賀多真」が三種の神器の1つと同名なので、1字取って「真賀多神社」に改称。

のちに、一帯が麻の産地であることから「麻賀多神社」に社名が変わったとのことです。

 

 

お~わくさんが、特徴として教えてくださったのですが、

 

 

伊都許利命の墳墓と、奥の宮の敷地内に生えている樹木は、二つの異なる樹がペアで一つになってしまっている樹が多くて、驚きました!!

 

 

「和合、融合ですね!」とか、
「イツコリノミコトさんは、きっと奥様(愛する女性)とものすごく仲がよかったのでしょうね~」
などと話したのですが……

 

考えてみれば、稚日霊命(わかひるめのみこと)と稚産霊命(わかむすびのみこと)の二神が、

「真賀多真(勾玉)の大神」として祀られているので、勾玉のようにツインの樹になっていくのかもしれないですね。

 

私のスマホは充電が切れてしまったので、お~わくさんが、たくさん写真を撮ってくださいました。

 

 

そして、奥の宮へ。

 

 

奥の宮の拝殿と本殿は、素晴らしいご神氣で、神聖な気持ちに浸れました。

 

 

 

 

普段は蓋がされているという大きな水甕の中が、まるで竜宮城のような世界観があり、惹き込まれました。

 

 

 

 

奥の宮の隣にある小さな林も、静けさが広がっていて 心が洗われました。

 

お~わくさんもこの林が大好きなのだそうで、この林にもあちらこちらにペアツリーが生えていました。

 

 

-・-・-・-

 

その後、車で移動して、台方にある麻賀多神社さんの本宮へ。

 

 

 

知る人ぞ知る神社と言えど、本宮は訪れる人が増えているそうで、奥の宮よりも開けている感じがしました。

 

 


*祓戸の四神もいらっしゃいます。

 

 


*拝殿

 

ご祭神は、「和久産巣日神(稚産霊神・わくむすびのかみ)」。

 

和久産巣日神(稚産霊神)は、天照大御神の姉神であり、伊勢神宮・外宮の豊受大神の親神さまでもあるそうです。

 

また、香取神宮のご祭神(経津主命フツヌシノミコト)と鹿島神宮のご祭神(武甕槌命タケミカヅチノミコト)は弟神とのこと。

 


*菊の御紋と六芒星!

 

拝殿と本殿は、以前は黒と赤の色の社殿だったそうですが、

現在は、本殿だけはそのままで、拝殿のほうは白と金色の社殿に改修されています。

 

*以前のまま保たれている黒と赤の印象的な本殿。

 

拝殿でご挨拶した際、「麻賀多の大神」さまからメッセージ(神託のような言葉)を戴き、

ちょっとひるんでしまうような内容の言葉だったので、どのように受け留めればいいのか、実は少し戸惑っていたのですが……。

 

 

この記事を書くためにネット検索して、

自分の魂と麻賀多神社さんの繋がりがわかったので、麻賀多大神さまが託してくださったことも、ようやく把握することができました。

 

 

ご神託と共に大切に持ち帰り、
青梅の地で、千葉の麻賀多大神さまとつながりながら、

私が(私たち夫婦が)できることを精一杯させて頂こうと思っているところなんです。

 

 

お~わくさんにご神縁をお繋ぎ頂いたこと、本当に感謝の想いでいっぱいです。

 

 

 

麻賀多神社さんの境内には、もう一つ重要な神社さんがあります。

 

 

天日久津(あめのひくつ)神社さん。
日本でこちらにしかない唯一つの神社さんです。

 

 

お~わくさんが前日に、天日久津神社さんについて書かれた、興味深いサイトを見つけて教えてくださって……

その内容に、うわぁとなりました!!

 

お~わくさんは、亀について調べていたら、天日久津神社さんの情報に行き着いたとのことで、
参拝する前日に必要な情報を、キャッチしてくださったことも凄いです。

 

鶴(天津神)と亀(国津神)が統べる(和合・統合する)」ことへの祈りが込められた神社さんなのだと感じました。。(u.u*)。

 

 

この麻賀多神社さんは、岡本天明により、昭和19年6月に「日月神示」が初めて降ろされた場所としても有名です。

 

日月神示のことも調べていたら、

岡本天明が、天日久津神社さんに参拝した直後に、社務所で一息ついていたら、
予期しなかった「天日久津神」からの自動書記現象が起こったそうです。

 

右腕に「焼火箸を突っ込まれたような激痛」が走り、猛烈な勢いで自動書記を始めさせられたのだそう。

 

 

天日久津神社の天日久津神さまは、「鶴と亀が統べる」という和合の意味合いをもつ神様であることを考えると、

 

第二次世界大戦が終盤に差し掛かった昭和19年、天日久津神社を参拝した直後に、猛烈な勢いで降ろされたというのも、あまりに深いですよね!!

 

こちらは、大杉・ご神木。

 

 

いろんなところから「一対」「ペア」のサインがたくさんやって来た一日でした。

 

 

和久産巣日神(わくむすびのかみ)

…永遠永久の和、産まれ結ばれること。

 

麻賀多神社さんの奥の宮と本宮、
そして天日久津神社さんは、
この祈りが込められている神社さんのように感じました。

 

 

お昼は地元で有名な「甚兵衛蕎麦」を食べることができ、

さいごに、千葉のお煎餅とわらび餅も、お土産に戴きまして、どれも美味しくて美味しくて、ハートが癒されました。

 

この日のラストにも、素敵なことが!

千葉駅に車で送って頂く道中で、目の前に立ち上がって現れた雲が、

昇り龍のように見えて、また、二つの樹が交差しているような形にも見える雲を見せてくれて感動しました(u.u*)

 

 

お~わくさんの千葉全体への愛と、千葉の神様への愛情を、じんじんと感じて感動した一日でした(u.u*)。

 

お車で一日ご案内くださいましたお~わくさん、本当にありがとうございました(*^▽^*)💕

 

このブログ記事が、ちょうど100記事目の節目になりました^^

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