2022.7.12(火)
【ミッション六社巡り・総まとめ】シリーズ。
・(2)天河神社・禊殿の国常立神命様&ガイア神様よりメッセージ☆
ミッション六社巡りの総まとめ・天河大辨財天社でのワークのことをシェアする前に………
ひとつ 分かち合いたい物語があります。
これは、2013年頃から9年がかりで、自分の魂と向き合いながら、資料やネットを調べたり自己リーディングしたりしながら探究してきたお話です。
今、ベストタイミングで、書ける時が来ました!!
かなり長いですが……
お茶でも飲みながら“夢物語”のひとつと思ってお読みください。
【1】
さかのぼること2,700年前頃。
日本の大和地方(現在の奈良県)では、「饒速日命(ニギハヤヒ)」が「大和(やまと)王朝」を治めていました。
ニギハヤヒは実在した人物で、別名を「大物主神」「事代主神」とも言われ(他にも別名がたくさん)、「須佐之男命(素戔嗚尊・スサノオノミコト)」の三男だったと言われています。
スサノオが出雲の国を治めていたので、スサノオとは氣質の違う三男のニギハヤヒは大和地方を任され、独自の王朝を築いていました。
ニギハヤヒは農耕の神とも言われているように、できるだけ争いを回避し 和を大切にする統治のしかたをしていたのではないかと思います。
ニギハヤヒが「大和王朝」を築いていたのが、今の奈良県の「三輪の里」――三輪山をご神体とする「大神(おおみわ)神社」の場所だと言われています。
ご祭神の大物主神は、饒速日命(ニギハヤヒ)の別名なのです。
そのニギハヤヒの娘に、「媛蹈鞴五十鈴(タタライスズ)媛」(またの名を「多多良伊須気余理(タタライスケヨリ)姫」)がいました。
*蹈鞴(たたら)五十鈴媛の誕生ストーリーは……👶
ニギハヤヒ(大物主)が、美しい勢夜多々良(セヤタタラ)姫を見初め、赤い矢に姿を変え、セヤタタラ姫が用を足している時に、川の上流から流れていき“ほと(陰所)”を突いた。
驚いたセヤタタラ姫が、その矢を家に持ち帰ると、その矢が美男子の姿に変わり二人は結ばれ、そのとき産まれたのが、蹈鞴(たたら)五十鈴媛でした。
蹈鞴五十鈴媛は、今も大神神社さんの境内社「狭井(さい)神社」のご祭神として(母の勢夜多々良姫と共に)祀られています。
狭井神社にはご神水が湧き出ていて、蹈鞴五十鈴媛は、水神でもあり、大元は「瀬織津姫の大御霊」から生まれた魂であると思います。
【2】
2015年くらいから、わたしは自分自身の御霊が「蹈鞴五十鈴媛(たたらいすずひめ)」の分け御霊(分魂)なのではないかと、確信を持つようになりました。
きっかけは、2013年7月の終わりにヒプノセラピーを受けた際、“重要な過去生”のひとつを観た時、その時代の自分の人生のストーリー(姿形や背景や環境など)をありありと観て、とても強い感情まで体感・体験したことが、その端緒となりました。
(ヒプノセラピー体験談は、以前のアメブロに詳しく綴りました。
⇒(*),(1)~(7)までの長編シリーズです^^ゞ)
・場所は日本の奈良。
・時代はかなり昔で、奈良時代のような格好をしていて、その時代風の建物に住んでいる。
・その土地の国を司っている人の娘らしい。
・後に、国の何か 重要なポジションに就き 役割をしていた様子。
……そのような過去生のある御霊なのではないか(その分け御霊として 今回生まれてきたのではないか)と、その時はっきりと認識しました。
この時代の“記憶の呼び覚まし”と共に、感情をリアルに感じて号泣し、強烈なカタルシスを体験しました!
ヒプノセラピーを受けた当初は、それが誰なのかわかりませんでした。
国を司るような…おそらく天皇に関わる誰かのような氣がする……と、ネットで歴代の天皇の情報を検索して、ピンとくる人がいないか探してみました。
そんなわたしに、
「その中にはいないよ。今はまだ 誰かわからなくてもいい。そのうち分かるから」
と、ガイドスピリットが耳元で囁いてくれたので、そうか、そのうちわかるのだろう、と思っていました。
その2年後、2015年9月にレイキヒーラーの友だちと4人で、奈良の大神神社さんに訪れた時――
「あっ! わたし、ここにいた!! この三輪の里で“やまと王国”を築いていた人の娘として生まれた!」
と、うわぁーっと思い出し、大号泣しました。
同行していた魂友さんの内田千鶴さんも、その時代にご一緒していたことを、
「居たよね? ここで一緒に居たよね…」
と二人で同時に思い出し、号泣!! 二人ともしばらく涙が止まりませんでした。
二人で確認し合って 確信に満ちた記憶だったので、疑いようがないことがわかりました。
その王朝を司っていたのは、大物主神(おおものぬしのかみ)とも呼ばれる饒速日命(ニギハヤヒ)だということ、
わたしは娘で、お父さんをとてもとても愛していて、この三輪の里では伸び伸びと育ち とても幸せに暮らしていたことを、どんどん思い出しました。
その饒速日命は、夫であることも すぐにわかりました。
(ヒプノセラピーの時にも、この時の父が夫だと、すぐにわかって号泣していました!)
つまり 夫も、奈良の“やまとの国”を司っていた饒速日命の分け御霊だとわかったのでした。
饒速日命も、その娘の蹈鞴五十鈴媛も、大きな御霊の存在ですから、自分たちの過去生そのものというよりも、魂の系譜が、饒速日命と蹈鞴五十鈴媛の大御霊の“分け御霊(分霊)”として今回生まれてきたのだろう、ということを(わたしは)受け入れるようになっていきました。
魂の系譜としては、瀬織津姫(瀬織津大神)の系譜(分魂)であることは、それより以前からわかっていましたが、
さらに細かく分類した場合には、この蹈鞴五十鈴媛の分け御霊であることが、その後の自他によるリーディングやヒーリングによっても明らかになり 確信を持つようになりました。
瀬織津姫/瀬織津大神。
川瀬や海の水を司る水の神。龍神。
この大きな大きな御霊の龍神様は、縄文時代から川瀬や海の神として崇められ、日本全国津々浦々で祀られていました。
前の項で、蹈鞴五十鈴媛は、父:大物主神=饒速日(ニギハヤヒ)と、母:勢夜多々良(セヤタタラ)姫のあいだに生まれた 、と書きました。
母の勢夜多々良姫は、三輪の里に流れる(今の名称で)狭井(さい)川と呼ばれる川を司っていた、瀬織津姫の系譜をもつ龍神女神(五次元から三次元を行き来できる)でした。
饒速日と龍神女神の間に(異類婚の結果)
やはり瀬織津姫の系譜をもつハイブリッド種として生まれたのが、たたら五十鈴媛だったのです。
そして、子どもの頃、たたら五十鈴媛と同じお社に住み、姉妹のように仲良く遊んでいた女の子がいて、それが魂友さんの内田千鶴さんでした!
千鶴ちゃんは、須佐之男命の娘さんで、たたら五十鈴媛とは従姉妹のような関係性でした。
ツインソウルだから、仲良しでいつも一緒に遊んでいて、たたら五十鈴媛は男の子のように活発でお転婆、
対して、千鶴ちゃんは女の子らしく優しいお人柄で、性格は対照的だったと思いますが、二人とも直感力が優れていたように感じます。
たたら五十鈴媛は幼少期~娘時代、父のニギハヤヒに直感を無邪氣に伝えて、天然で巫女のような役割をしていたのだと想います。
千鶴ちゃんも大和王朝で祭祀などに関わり、巫女さんの役割をしていたと想います。
豊かな大地、友好的で平和な大和王朝は、
幸せな娘時代だったのだと記憶しています。
【3】
そんな中、九州で(今の宮崎県)「日向(ひゅうが)王朝」を築いていた「磐余彦(イワレビコ)」が、この時代に、仲間を引き連れ大和地方へと東征してきました(「神武東征」)。
大和王朝と神武軍が闘い、敗れたニギハヤヒは、イワレビコに大和地方を譲りました。
奈良の地・大和にイワレビコが新しい王朝を築き、神武天皇が誕生しました。
ここから2,700年続く(…はずであった)日本の天皇家が誕生しました。
ニギハヤヒ軍とイワレビコ軍は闘ったと言われていますが、実際には、イワレビコ軍と実際に闘ったのは、ニギハヤヒの家臣だった長髄彦(ナガスネヒコ)という大和地方に元々いた豪族の軍だったと言われており、
ニギハヤヒは、イワレビコと話し合って和睦し、大和の地を譲ったのではないか、という説もあります。
わたしも そう感じています。
後から氣づいたことなのですが、
イワレビコ=神武は、実はプレアデス人で、地球を日本の地から治めることで統治・監督し、地球人の成長を見守り 導く役割を担うために、地球におりてきた一行だったのではないかと感じています!
※神武天皇から八代(あるいは九代)の天皇までは「欠史」と言われ、実在していないと考えられていますが、実態は宇宙人(プレアデス人)だったから、なのではないかと思います。
イワレビコとニギハヤヒは、愛と調和の“やまと王朝”と五次元の星・プレアデスを融合して、“大きな和の愛の国”を ここ日本に創造しよう!! と話し合ったのではないかと思います。
やまと王朝とプレアデスの和合のために、ニギハヤヒは自分の娘・たたら五十鈴媛を嫁がせることにより、新しい王朝にも血族の子孫を残すことを選択したのだと思います。
たたら五十鈴媛は、ニギハヤヒの子孫を残すためにイワレビコに嫁ぎ、神武天皇の皇后となりました。
そして、後の第二代天皇となる綏靖天皇(すいぜいてんのう)らを産み、三人の息子の母となりました。
※橿原神宮のご祭神は、神武天皇と 皇后であった媛蹈鞴五十鈴媛命です。
たたら五十鈴媛が神武天皇に嫁ぐときに、道連れのような意味合いで、内田千鶴さんも一緒に連れて行かれたようでした。
仲良しの千鶴ちゃんもワンセットで連れて行かれることで、二人とも逃げ出すことができなかったのだと想います。
そのときの たたら五十鈴媛は、イワレビコのお嫁さんになることに、とても抵抗を感じていました。
なぜなら、たたら五十鈴媛の最愛の人は、父のニギハヤヒ ひとりだけだったからです。
【4】
青梅に来てから、ツインレイやツインフレームについて探究するようになり、わたしたち夫婦はツインフレームという魂の関係性だと感じるようになりました。
さらに 一年半ほど前から、たたら五十鈴媛は、やまとの時代、父の饒速日のツインレイの魂として生まれていたのではないかと、感じるようになりました。
たたら五十鈴媛は、ツインレイであるニギハヤヒから引き剥がされてしまったことで、それからは生きる氣力を失ってしまいました。
神武天皇が宇宙人(プレアデス人)だったことも馴染めなかった要因だったようです。
そんなわけで、たたら五十鈴媛は、神武王朝時代から、「皇后」という仮面をかぶった人になってしまい、自分の意思や考えを何も言えなくなってしまったようです。
誰よりも自由を愛する魂なのに、ツインレイの饒速日命から引き離され、愛と自由をすべて奪われてしまったように感じていました。
ニギハヤヒに対しては、神通力で巫女さんの役割をしていましたが、神武王朝ではその力を完全に放棄し 発揮できなくなっていました(自ら封印してしまった感じ)。
けれども皇后なので、神おろしで神託をお伝えをしなければならないお役目があり、
その役割は、いつも千鶴ちゃんが影武者の巫女となり神おろしをして神託を教えてくれ、たたら五十鈴媛は それをただ読み上げるだけ、ということをしていたように感じます。
千鶴ちゃんは神武王朝でも祭祀に関わり、巫女さんとして神託をお伝えする役割をされていました。
たたら五十鈴媛はこのとき、余り表情がなく、マネキン人形のような心境で生きていました。
(2013年のヒノプセラピーの体験談を読み返すと、争いや諍いがなくなるよう…心の中でひたすら祈ることをしていたようです。)
言いたいことや したいことが何もできず、とても苦しくしんどい後半生でしたが、千鶴ちゃんや周りの人たちに支えられて、なんとか生き延びていた感じだったと思います。
【5】
やまと王朝と神武天皇の時代に関わってくださっていた 魂の深いご縁の方々が懇意にしてくださり、周りに集まってくださるようになってきている ということを、2015年頃から感じるようになりました。
中でも、コアな関係性をもっていた方々とは、その時代のことや、これからの五次元地球についても語り合ったりできるようになってきました。
関わりのあった皆さんの魂さんにとっても、今生でもお逢いできていることは、きっと大きな意味をもっているのだろうなぁと感じています😌✨
長い長い悠久の物語を、さいごまで読んでくださり、ありがとうございます🙏😊
このお話を、ブログに書ける日が来たのだなぁ!と想うと、それだけで感慨深い想いでいっぱいです。
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