2022.12.20(火)
コロナ療養の体験は、とても大きな貴重な体験でしたので、どなたかのお役に立てればと想いまして、体験談を3回に分けて綴っていきます。
今回のことでも、【すべてが愛の出来事で、愛しか起きていない】こと、『ひとつである愛』から【誰も・何も・いつ何どきも分離していない】ことを、骨身に沁みるほど体験させてもらいましたし、本当に本当にすべて【愛の出来事&愛の学び】でした。
*関連記事:12/17アップの前の記事
体験談は「3つの記事に分けて」ということと、なぜかフランス語の「1,2,3」の意味である「アン・ドゥ・トロワ(un, deux, trois)」という言葉(音)が浮かんできました。
内容としては重暗い話の要素も多々あるのですが、「アン・ドゥ・トロワ🎶」の軽やかなエネルギーで、3回に分けて綴っていきますね🎵
ご興味ありましたら、お付き合いくださいませ^^
【1】コロナ療養体験談―発症~退所までの経緯と療養所のこと
まず、【1(アン-un)】では、コロナの症状がどのようなものだったのか、発症から退所までの経緯(病状の変化や退所のタイミング)、療養所の様子などを綴ります。
コロナに実際に罹ったらどのような症状になるのか、不安や心配を感じている方もいらっしゃると思うので、症状や経緯をご参考までに……。
(人によって症状は様々なようです)
また、お元氣で健康体の方は、コロナになったとしてもこのようなコロナ専門の療養所(医療支援の施設)に入ることは まずないと思いますし、あまり知られることのない施設かと思います。
全体の経緯としてはーーー11月29日に濃厚接触になり、一旦は陰性だったものの、12月1日に陽性となり、透析のできるコロナ療養所に12月3日に入所して2週間。12月16日に自宅に戻りました!
詳しい経緯はーーー
11月29日にマスターコースを対面にて青梅でおこなった日、受講された方が帰宅されてから発熱されたとのことで、その晩のうちに抗原検査で陽性となられたこと、保健所に連絡したところ「発症当日に会った人は『濃厚接触者』となるそうです」とご連絡をくださいました。
一緒にコロナになった方と連絡を取り合いながら、「このことも、全部 愛の出来事で、愛しか起きていないんだよね。何も・どこも分離していないから、大丈夫だよね、大丈夫◎」と……そんな話をし合っていました(#^.^#)。
翌朝すぐに透析クリニックに連絡したところ、
・自宅にある抗原キットで15時過ぎ頃に検査をすること
・今日(水曜)の透析は明日(木曜)に変更
……との指示を受けました。
24時間以上経たないと確かな検査結果は出ないかもしれないけれど、もし陽性の場合、入院先を探さないといけないので、対応できるギリギリの時間で、15時過ぎに検査を、とのことでした。
この日(11月30日)に自宅で抗原キットで検査した時には、陰性だったので、透析クリニックに報告し、この時点では自分は陰性で大丈夫◎と思っていました。
翌12月1日は、クリニックの“離れ”で一人で透析をして頂いたのですが、その日の検査で陽性となってしまい、入院先を探して頂くことになりました。
透析中は、まだ36℃台の平熱、寒さだけはあったのですが、咳や息苦しさなどの症状もなく、酸素濃度も正常値の範囲で【無症状】と言ってよい状態でした。
ただ、この日の晩から症状が出始めました。
帰宅後 布団に入って寝ていたのですが、悪寒から始まり、全身寒くて寒くて震えがきて(足の先から脛にかけてが特に寒かった)、熱も37℃台に上がり、全身の節々が痛くなり関節痛も出てきて、翌朝には38.3℃まで発熱しました。
咳・喉の痛み・息苦しさはほとんどなく、発熱・悪寒・関節痛の症状が主で、インフルエンザに罹ったときの症状に似ているなと感じました。
翌日にかけて透析クリニックの院長先生や保健所の担当の方が迅速に対応してくださり、赤羽にあるコロナ療養所に、12月3日に入所させて頂けることになりました。
透析を受けながらコロナの療養をさせてもらえる東京都の療養所です。
常時ほぼ満室のようで、なかなか入所できないそうなのですが、タイミング佳く入れたのは幸いだったなぁと想います。
入所当日は、電車で移動できないので、保健所が手配してくれた車が自宅まで迎えに来てくれて、赤羽の療養所まで高速道路などを使って送り届けてくれました。
このようなところは、細やかな配慮や対応をしてくださる保健所や、車を運転して送り届けてくださった運転手さんなど、日本人って本当に凄いなぁ…と感動しましたし、体調が優れない時に車で移動できるのは本当にありがたいなぁ!と、心から感謝の想いが湧いてきました。
一緒にコロナになった方も ご家族と同居のため、やはり東京都が用意しているホテルで療養されることになり、車で迎えに来てもらったとのことで、「こういう時の対応が愛にあふれていて、日本って本当に凄いね!!」という話をしていました。
わが家では、濃厚接触となった夜から、リコピンさんには食堂のほうに泊まってもらい、(わたしが透析に行っているあいだに着替えなど荷物を取りに来てもらって)夫との接触を避けられたので、それも幸いなことでした。
振り返ると、夫が濃厚接触にならずに食堂も営業できたのは、青梅でお会いした方が、帰宅されて発熱された際、その夜のうちに検査をしに行ってくださったおかげだったのです!!
その方のファインプレー☆彡のおかげで、わたしからはどなたかに感染させることなく、最小限で抑えられたのは、本当に良かったです!!

さて、赤羽のコロナ療養所、正式名称は『高齢者等医療支援型施設(赤羽)』。
透析をしながらコロナの療養ができるのは、都内では赤羽の療養所だけなのだそうで、旧赤羽総合病院が移転をする際、東京都が居抜きで引き取り、このような施設を作ったようです。
正式名称の通り「医療を支援する施設」という位置づけのようで、医師は常駐しておらず(何かあったときに対面やオンラインで対応してくれる)、看護師さんや技師さんなど医療スタッフの方々が中心となって運営していました。
感動したのは、療養所の医療スタッフの皆さんが、どなたも優しくて氣遣いや言葉掛けなど愛にあふれた方々ばかりで……コロナ患者さんたちへの対応が素晴らしかったところです!!
皆さん、完全な防護服を着ていて「ここ(職場)でコロナになることはないですよ」と仰っていましたが、リスクのあるお仕事をされている医療従事者の皆さまには、本当に感謝、感謝しかありませんでした。
凄い人数のスタッフの方たちが、入れ代わり立ち代わり……常駐の方もおられましたが、ほとんどの方は、こうしたコロナ専門のいくつかの施設をその日によってあちこち派遣されて行かれているようで、そうしたシステムがあるようでした。
こういうことも、実際に体験してみないとわからないことがたくさんあるなぁ!と思いました。

コロナの症状は、発症した12月1日に、コロナ用の薬を透析クリニックで処方され、その薬を5日間飲みました(朝晩4錠ずつ)。
入所した日に38.3℃まで上がった熱も、この薬を飲んでいるうちに36℃台前半まで下がり、あとは頭痛と痰を伴う咳くらいで、ほぼ治まってきていたので、ほとんど回復しているように見えました。
発症を0日として11日目以降、症状がなくなっていれば、最短で12月13日には退所できる予定だったのですが……。
コロナの薬を飲み終わってから、熱がまた上がり始め、37℃台後半~38℃台を、上がったり下がったりが何度かあり、熱が上がると解熱剤を処方されて飲む、の繰り返しでした。
解熱剤を使わずに自然治癒力で熱を下げたくて、一旦そうさせてもらっていたのですが、それでも上がったり下がったりを繰り返したので、
「このまま熱が下がらないと帰れないですから。熱を下げて家に帰って美味しいものを食べないと治らないですよ」
と言われ、ちょっと驚き「ここはコロナが治るまで居られるところなのでは?」と想ったりもしました。
症状は他に、頭痛と痰を伴う咳くらいで、ごく軽症のほうだったとは思うのですが……。
特に頭痛がずーーーっと続き、こめかみと後頭部の頸椎のそばがピリピリ・ズキズキと、ずーーっと痛くて、この頭痛によって心が疲弊し、ストレスが増幅しました。
レイキの友だち・仲間の皆さんが、レイキで✨愛の光💖✨を毎日送ってくださり応援の愛を送り続けてくださって、本当にありがたかったのですが・・・・。
「遠隔ヒーリングを送りますね」とか「その後、お身体の様子はいかがですか?」と心配して送ってくださるLINEメッセージに返信しようとすると、ズキズキと頭痛がしてきて、症状や状況説明などを入力してお伝えする氣力もなく、すべてが億劫で面倒に感じてしまい……LINEは、メッセージへのリアクションとスタンプを押すだけで精一杯でした。
また、経過や病状を把握するために必要なのでしょうが、心電図のパルスのようなものを右胸の上・左胸の上・脇腹の3ヶ所と、右手の薬指には酸素濃度を測るためのものを、常時着けられていました。
特に右手の指に線でつないだものを着けられていたので、ちょっと布団を動かしたりするだけで、その線が絡まってきて、鬱陶しくてかないませんでした。
常時、心電図や酸素濃度をモニターで見られて管理されていることは、療養所に入った以上 必要なのでしょうが、気分のよいものではありませんでした。
退所のタイミングについて。
わたしは二人部屋に入りましたが、先に入所されていた方が退所される際、検査で陰性を確認している様子がなかったので、不安に思い「退所時、陰性を確認しないのですか?」と尋ねたら……。
発症した日を0日目として11日目以降、症状が治まって問題なければ退所できることになっているとのこと。
「陽性なのは、しばらく陽性だと思いますよ。菌はまだ身体の中にいますから」とか、
「11日目以降は、感染させるリスクはほぼ0と考えられているので、退所できます(保健所や東京都の取り決めで)」
と(何人かの看護師さんから)説明を受けました。
陽性を診断される時には、陽性になるまで検査をさせられ、出るときには陰性を確認せず、陽性のまま出されてしまう!! ということには納得がいかず、おかしいよね! という想いが噴出したりもしました。
ただ、11日目以降であれば、感染させるリスクはほぼ0とされるので、家族と接触しても(濃厚接触にはならず)夫が食堂の営業をしても良い、ということが確認できたので、まぁいいかと思いましたが・・・
それでも、透析クリニックに戻る際、不安のない状態で(ご迷惑をかけずに)戻りたかったので、退所できる日が延びてしまいましたが、これも最善だったと思いました。
コロナの全体的な印象としては・・・
周りの患者さんたちのお話を聴いていると、お一人が陽性になると家族全員が順ぐり陽性になってしまうことが多く、ただ最近のコロナは軽症で済むことがほとんどで、インフルエンザや強い流行風邪のような感じで、重症化することはほぼないのでは? と感じます。
現場のスタッフの方々も緊迫した様子ではなく、急変される方などがいなければのどかな雰囲氣で、帰宅後の不安を訴える患者さんに対して、
「きちんと療養されればご家族に感染させる可能性はほぼ0ですし、来年に入れば、もうインフルエンザと同じような感じになっていくと思いますから、大丈夫ですよ」
と笑って話されているシーンも見聞きしました。
現在では、実際の医療現場では、すでに「5類に下げられていると思える対応」をしている印象でしたよ^^

さて、コロナ療養所の様子ーどのような環境だったかなどについても、少しシェアしておきますね。
二人部屋の窓際に入りましたが、窓は擦りガラスで開閉禁止なので、外の景色を見ることも、外の空氣を吸うこともできませんでした(外の空氣は一度も吸えなかった…( ;∀;))。
窓からの光と明るさのみで、外の天氣を「今日は晴れているみたい」「曇りっぽい」とわかる感じでした。
食べ物・飲み物は、持ち込み一切禁止!
食事は6時、11:30、18時に3食、飲水は500ml×2本のペットボトルで管理され、自動販売機もないので、好きなものを食べたり飲んだりは一切できませんでした。
温かい飲み物も、言えば出してもらえるようでしたが自発的には飲めず、温かい飲み物が無性に飲みたかったです。
飲み物はまだ我慢できましたが、食事が、元々食欲が落ちてあまり食べたくない上に、とても難儀しました。
食事は3食、パックのご飯と、ビニール袋に入ったお弁当スタイルのものが配られ、メインと副菜が4種類くらい入っているものでした。
料理にビニール袋の匂いが付いてしまっているため、どれもこれもビニールの味がしたことと、工場で作られているのだろうなぁとわかるような、“人の氣”がしないお弁当で……。
普段から朝と昼は兼用で1日2食の生活なので、早朝6時から「はい、朝ごはんです!」と出されても、食べたいとなかなか想えなかったです。
朝やお昼も食べたくない時が多々ありましたが、薬を(コロナ用の薬と透析維持のための薬)きちんと飲んだかチェックされ、「ご飯、食べてくださいね!」と強めに言われるため、一口でも二口でも食べなければなりませんでした。
食べられる食材をぽつぽつと拾って、何とか食べている感じで、お昼だけ出るふりかけをご飯に掛けて食べるのが唯一エネルギー源になっていて、ふりかけを昼と夜に少しずつ分けて、ご飯だけでもできるだけ食べるようにしていました。
毎日3食、出してもらえるだけでも有り難いと思うべきなのでしょうが……これまで何度も体験していた“入院先の病院食はこういうもの”という経験則を遥かに超えてくる内容で……食事にこんなに難儀するとは思っていませんでした。
各ベッドに備え付けのテレビはありませんでした。
ネット環境も、Wi-Fiはなかったので、スマホで家族契約しているギガ数をすぐに超えてしまい、5日目くらいからネットにつながりづらくなってしまいました。
動画はもちろん ネット検索などもほぼできない状況になり、夫や実家の家族とのLINEでのやり取り程度しかできなくなりました。

このような制限の強い療養所の生活で、ストレスが溜まりやすい状況だったのですが、
何よりもしんどかったのは・・・「透析をしているから、コロナになったらこのような療養所に入らなければならない…」「透析をしてもらわなければ生きていられない…」という、透析をしていることそのものの自分の状況や、大元の病気に対するネガティブな感情や記憶などが、一気に噴出してきたことでした!!!
たくさんのレイキの仲間の皆さんが✨レイキの愛の光✨を送ってくださっていましたし、コロナの症状そのものは、インフルエンザに罹ったような症状で軽症でしたから、日数が経てば快復するとわかっていたわけなので…(頭痛はしんどかったですが)全体的にそれほど辛くはなかったのです。
透析が必要な状況でなければ(普通に健康体であれば)、コロナになったところで、何日間か自宅で療養すれば済む話で、コロナだけならこういうところに入る必要はないのに……と、
透析をしなければならない身体=そもそもの病気に対する自分の中の大きな深い闇・魔(真っ暗い部分)と対峙することになっていったのでした。
【2(ドゥーdeux)】に続く・・・