2023.1.3(火)
2023年が明けましたね🌅
本年もどうぞよろしくお願いいたします☺️💖
1月1日 13:40、父が自宅で 静かに息を引き取りました。
母が光になった10日後、元旦という日に後を追うように光になりました。
2月の誕生日の前でしたので、母と同じ86歳でした。
わたしとリコピンさんとことあが同じ部屋に居るあいだの出来事でした。
12月29日(木)に母の通夜式を(告別式を兼ねて)おこない、翌30日(金)に火葬が無事に終わりまして、母がお骨となり帰宅しました。
この後から、父はがくんと来てしまったようで、体力も食欲も 何より生きる氣力そのものも、急に弱くなってしまいました。
父は、10月頃から透析のあいだに血圧が低くなることが多く、透析中に意識がなくなったり、予定時間まで透析ができないことがあったため、正直、父の身体は いつどうなっても……と覚悟をしなければならない状況でした。
元旦、午前中に訪問看護師さんが診にきてくださった後、穏やかに眠っていると思っていたので……
父の身体のことについて記録をしたり、リコピンさんと介護のことなど話をしていて……
ふと氣づいたら、息をしていなくて、脈もなくなっており、リコピンさんと二人で身体を揺らしたり、
「お父さん、返ってきて!!」
と大声で呼び掛けたりしましたが、反応がありませんでした。
それが13:40。
本当に眠るように 安らかに息を引き取っていたんです。
訪問看護師さんにもう一度来て頂き、呼吸停止と心音のないことを確認して頂き、往診の先生に来て頂き、正式に死亡を確認して頂きました。
15:40でした。
母の死亡確認時刻は、17:40でした。
(わたしが生まれた時刻は11:40です)
12/31(土)の最後の透析に送り出すとき、
「お父さん、しっかり透析をしておうちに帰ってきてね。家族みんなで新年を迎えようね。」
と伝えると、
「はい」
と答えてくれ、約束通り 透析から帰ってきてくれました。
さいごの力を振り絞って、家族と一緒に年を越し、新年を迎えてくれました。
父も、母の元へ一緒に逝きたかったのだと思うし、また、母も、父を連れて行きたかったのだと思います。
(実際、母の意識から、すでにたくさん話し掛けられて、話をしていました😌)
訪問看護師さんも「絆の強いご夫婦だったから、お母さんが連れていったんだね…」と仰っていました。
わずか10日間だったけれど、父の介護を、精いっぱい愛情を注ぎ込んで、妹と一緒にできたことは、本当に母が遺してくれた置き土産だったのだと想うと同時に……
遺伝子が同じ娘たち二人から最期に本氣の愛を注がれる……という通過儀礼があって、初めて、父も安らかに光になることができたのだろうなぁ…としみじみ想うのです。。。
透析を35年以上続けたこと、男性の平均年齢よりも長生きしたことも含めて、きっと後悔はないのではないかなと想います。
ご夫婦の どちらかが先立たれると、もう一方も後を追うように逝かれるという話は、聞いたことのある話でしたが、自分の人生にまさか!こういうことが起きるとは思っていませんでした。
冬至の日に母が、元旦に父が……なんて、想像もしていませんでした。
でも、今は 不思議と悲しみはそれほど深くなく、母が父を迎えに来てくれたこと、父が母の元へ逝けたことで、静かで穏やかな氣持ちで、1月8日の父の見送りの式をおこなえそうです。
ふたりとも いなくなったわけではなく、意識(魂)で生きていることを確かに感じられます✨✨
今生の“肉体の命の卒業”を迎えただけで、肉体を脱ぎ捨て、思いきり解放されているようにも感じています。
むしろ、両親にとって、魂の光としての本領発揮は、これからなのかもしれません✨💖💖✨
お母さん、お父さん、本当にお疲れ様でした✨✨✨
深い愛の生きざまを見せてくれ、二人ともがんばり抜いて、やり切って、あまりに見事な潔い幕の引き方でした。
お父さん、お母さんの子どもに生まれたことを誇りに想っています。
ふたりに恥じない生き方をしていきますね。
三元日から、湿っぽい話でごめんなさい🙏😌
11月に父が意識を失った際、遠隔ヒーリングをお送りくださった皆さま、
母の救急搬送のとき以来、母と家族にレイキの愛の光をたくさんお送りくださったり、
祈りの氣持ちを向けてくださいました皆さま……本当にありがとうございます💖💖
そして、本年もどうぞよろしくお願いいたします💗💗💗
いつもブログにご訪問ありがとうございます☺️💖
LOVE IS ALL. 愛がすべて💟
みんなのことを愛しています😊💞